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日雪石材店のこだわり(石職人が語るお墓創りへの想い)

ホームページにお越し頂き誠にありがとうございます。

日雪石材店の外観

千葉県船橋市営馬込霊園正門前にあるお墓工事の専門店、日雪石材店でございます。
創業70余年で馬込霊園開園当初から3代に渡り商いをさせていただいています。

当店では船橋市で唯一の厚生労働大臣から認定された一級石材施工技能士一級お墓ディレクターがおり、設計から基礎工事、建墓工事までの一貫した完全自社施工をしています。

大手の石材店さんとは違い、家族経営の小さな小さな石材商店ですが、お墓創りへの想い、特に施工に関しては常に美意識を持ち仕事に接し、美しく丈夫で長持ちするお墓を作るために、たとえ同じ形のお墓であっても昨日より今日、今日より明日と少しでもきれいに美しい工事が出来るようその都度反省をし、改良を加え、日々の研究、技術の向上に努めています。

認定証

日雪石材店三代目が確かな技術を持った石職人になるまで

なぜ、明治学院大学文学部に通っていた私が、お墓創りをするのか

三代目店主 小坂健太郎

お墓創りの工法について比較検討するためには、 様々な技術的知識が必要となります。

お墓が建つ地盤の強度を解き明かす土質力学、お墓の骨格の強度を測る構造力学、お墓に使われる石材の品質や耐久性を測る材料学、挙げればキリがありません。

私は、そうした基本の一部を、愛知県にあります職業訓練法人岡崎技術工学院で学びました。

仕切り線

私ごとなので興味の無い方は、読み飛ばして頂いて結構なのですが、お客様からも駆け出しの頃は、 「若いのに家業を継いで偉いねぇ~。」と、よく聞かれた部分でもありますのでお話します。

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私は、千葉県の船橋市で産まれ育ち、地元の小・中・高を経て、
現役で明治学院大学の文学部へ入学しました。専攻は、文学部英文学科でした。
大学を卒業してからは、広告代理店に就職をしたいという想いがあり、
夢と希望で満ち溢れていました。

桟橋

そんな順風満帆な大学生活を送っていた中、様々なアルバイト経験を通して「世の中には、いろんな仕事があるんだなぁ」という良い経験をさせてもらいました。

正直、実家の老舗石材店を継ぐ気は、その時はなかったのですが・・・。私には両親がいますが、物心がついた時から、強要をされたことが一切ありません。
例えば、「ああしなさい、こうしなさい」であったり、
「勉強しなさい」とか「将来は石屋を継いでほしい」などの言葉は一切言われたことがありません。
むしろ「自分の人生は一度しかないのだから、とことん好きなことをして、 いろんな事を経験して、時には失敗も経験して、
最終的には自分の選んだ道なんだから・・・。」という自由教育を受けてきました。

そんなフランクな両親から唯一アドバイスをもらった言葉が、

「大学には行っておいた方がいいよ。お父さんとお母さんは、行けなかったからねぇ~。
世の中には、いろんな仕事があって、自分が『この仕事いいなぁ』と思っても、
案外大変だったり、自分に合わなかったりとするものなのだから・・・。

飛行機

学生の時だけなんだよ、自分の未来の設計図を作れる時って・・・

ひとたび就職をしたら、時間にも追われるし、
基本的には一生その仕事をしなければならないんだから。

だから親が言うのもなんだけど、勉強はどうでもいい。
それよりも、よりたくさんのアルバイトをして、

いろんな人と出会い、自分が一生付き合って向き合える
『これだ!と思える仕事』を探す4年間
だと思うから、

行けるもんなら行っといた方がいいよ、
何度も言うけど勉強は別にしなくていいんだからさぁ・・・」

仕切り線

教員関係の方からしたら一見『カチン』と思ってしまうかもしれませんが、 すみません・・・完全ノンフィクションの話ですので。

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ということで、両親の教えに基づき、やはり勉強はあまりしませんでしたが、
いろんなアルバイトはやってきたつもりです。

しかし、ある時、私の中に悩みが生じてきたのです。

一生懸命に人の役に立ちたい

この先、長い人生をかけて仕事をするなら、
もっと人と直接に触れ合う仕事がしたい。


そう思い始めたのです。



私は、お客さまに直接喜んでもらえて、時には涙を流して喜んでいただけて、 生の声を聞く事が出来て、それが一生の仕事になるのなら、そっちの方がやりたくなったのです。

かねてからの自身の夢はありましたが、もうその頃には変わって、
自分の本当のやりたいことに気付いてからは、心揺らぐことがありませんでした。

作業風景
一生、命を懸けてやると決めたら、
日本一の石職人になってやる

一度決めたら、もう止められませんでした・・・。 決心した三日後には、大学に退学届を出していました。

しかし、「日本一の石職人になってやる」と、決意をしたまでは
良かったのですが、一体これから何をどうすればよいのか、
全くもって見当が付きませんでした。

無論コネもなく、どこに修行に行けばよいのかとか、
完全に見切り発車でありました。

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日本の石の三大産地でもある愛知県の岡崎市というところに、職業訓練法人岡崎技術工学院という
日本で唯一の石職人を育成する訓練校があることを知り、飛び込みで門を叩きました。

作業風景

どうせ職人になるなら、

日本一の石屋に修行に行って技術を修得して、一流の石職人になりたい

という思いからでした・・・

1999年の春、私が二十歳の頃です。

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そして、当時の訓練校の校長でもあったお方こそ、後の私の恩師でもある小林繁三郎社長でした。
その親方に石の修行をしたいと相談をしたところ、
「うちに来るか?厳しいぞ。」とおっしゃっていただけました。

つらかった4年間・・・逃げ出したかった

それは、同期の新人見習い職人4人との同じ屋根の下での六畳一間に二段ベッドが二つあるだけの、お世辞でも綺麗とは言えない、お化けが出てきてもおかしくないような寮での生活の始まりでもありました。

同期の一人は厳しすぎる環境に、半年で辞めていってしまいました。

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作業風景

それからの4年間は、朝から晩まで右を向いても左を向いても石しかない生活を送りました。

工場ではノミとセットウを一日中使った石の手加工、機械での石の切削、花立てなどのやくもの製作、磨き加工、加工の難しい蓮華台の彫刻などを、現場ではお墓創りのありとあらゆる事すべてを、それぞれ叩き込まれました。

そして、夜間は職業訓練校の石材加工科にて知識、技能を学びに行き、ちょっと前までは都内の大学に通い、将来「ホワイトカラー」になることを夢見ていた頃とは180度変わってしまった生活に嫌気が差した時も正直ありました。

完全手加工での灯籠

いくら修行だからって、こんな田舎でつらい思いをして、
本当に俺の人生の選択は間違っていないのか?

とさえ思ったこともあります。

諦めて途中で投げ出して、辞めようと思ったことも幾度となくありました。

しかし、厳しい4年間の修行の甲斐あって、最初は何も
出来なかった私が最後には石の事なら何でも出来るまでなり、
やっと一人前の石職人のスタート地点に立てたかなという
所まで、成長させていただきました。

訓練校の卒業時に開催される石材加工コンテストでは、
完全手加工での灯籠を製作し、
一位の技能賞を取らせていただくことも出来ました。


親方をはじめ、支えて下さった方たちには、
今でも感謝の思いでいっぱいです。

やっとスタートラインに立てた先には・・・

そして、技術を習得して千葉県船橋市に戻り、祖父が創業した老舗の石材店で、
新たなるスタートを切ることが出来ました。

お客様からいただいたお墓の仕事をひとつひとつ丁寧に時間をかけて、「どこの石材店さんよりも良い仕事をして、お客様に喜んでいただくんだ」という強い想いを胸に、無我夢中で邁進してきました。

地元船橋に戻り、市内で私ただ一人しか持っていない厚生労働大臣から認定された一級石材施工技能士という国家資格も取得することが出来ました。

船橋市でも数人しか持っていない、日本石材産業協会認定のお墓ディレクター一級の資格も取得することが出来ました。

仕切り線

石工の世界に入って、二十年が経ちました。
こうして、だんだんと、お客さまがご友人をご紹介くださったり、

「良心的で船橋市内で一番良い石屋さんらしいね」

といった口コミでいらしていただくまでにもなりました。
非常にありがたいことです。

しかし、今振り返ってみても、私は特別変わったことをしてきたわけじゃありません。
『お客さまの生の声』から学ばせていただいたことを、ひとつひとつコツコツやってきただけ。

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作業風景

今でももちろんですが、この先も私は、
一生懸命魂込めて、
昨日より今日、今日より明日と

少しでもきれいに、美しい工事が出来るよう

その都度反省をし、改良を加え、お客様の為に、
日々技術の向上を目指しながら
お墓創りに励んでいっているだけなのです。

仕切り線

ただ、こんな経験から、少しだけ、生意気なことを言います。

技術を知り、活用することは大切です。
技術の進歩がなければ、人類はここまで進歩しなかったでしょう。
その意味で、技術はものすごく大切です。
しかし、技術だけではダメなんです。
技術に心がこもっていないと、良いお墓創りなんて、出来っこないのです。


これは私どもが、お客さまの生の声を聞き、喜んでもらうことを仕事にしてきたから、言えることです。
それが、私が石職人になり、何年も真摯にお客様と向き合ってきて分かったことです。

お墓創りに終わりはありません。常に最高を目指し、完成してからでは見えなくなってしまう所ほど、手間と努力を惜しみません。